Cafe HOUKOKU-DOH

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IVY Note No.3

TPO

いまやファッションを超えて、さまざまな領域で使われているこのTPOという言葉。VANや創業者の石津氏は、これ以外にもTシャツやトレーナー、キャンペーンやプレミアムなど、さまざまな単語や概念を発信してきた。

 

T=Time(時間)、P=Place(場所)、O=Occasion(機会)の頭文字をとった単語である。われわれからすると狭義の意味で、ウェアやコーディネイトを考えるとき「いつ、どこで、どんな場面で」で選ぶ服やアクセサリー、スタイルを決めるというIVY服装術における基本原則である。

 

店主は「ねばならぬ」式ルールにこの"TPO"をセットにした瞬間、IVYは単なる流行からカルチャーに昇華したと考えている。TPOがあるから、文化という同じ民族がくるまって心地よいと感じる繭のようなもの(司馬遼太郎風にいうと)になったのである。

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IVYのアイテム自体は、IVYという言葉をはなれ、その多くが定番として多くの人々に支持されている。パーカーやチノパン、ローファーなどを見ればそれは明らかである。

 

それ以上にTPOは、われわれ日本人に服装について考える習慣をつける役割を果たした。「ねばならぬ」式で組み合わせの知識は得たものの、その日にどの組み合わせをチョイスするかは、TPOによらねばならない。

 

これで、山登りにチャコールグレーのスリーピーススーツを着ていったり、卒業式というセレモニーにバミューダショーツにビーチサンダルで参加するのはふさわしくないという結論に至ることができるのだ。

 

制服文化

店主が通っていた高校は、地方の進学校で男子校であった。相当早い時期から制服を廃止しており、私服通学というのは、当時の店主にとって魅力的であった。

 

店主がオシャレに目覚めたのは、中学1年のときであった。はじめはわけもわからずテレビやコミックの影響で、ヤンキーファッションにあこがれ、先輩の目を盗んでは変形学生服などを着てよろこんでいた。

 

IVYと出会ったのは、中学3年だった。幼なじみのSがVANのトレーナーを着て目のまえに登場したのだ。彼には3つ年上の姉がいて、どうもその姉にVANショップで買ってもらったらしかった。その姿はあまりにもカッコよく、衝撃的であった。

 

そんな多感な青春時代を過ごすのに、通う学校が私服だということは、毎日TPOとなにを着るかと考える時間を4倍近く与えてくれた。男子校とはいえ、学校にはカッコイイヤツもいた。通学の行きかえりも気が抜けない。どのように見られるか、ではなくどのように見せるかを必死で考えた。

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わが国の学校における制服というのは、そろそろ見直した方がいいと思う。経済的な面を理由にするむきもあるが、ならば私服と制服を選択できるようにすればいい。周囲と同じ格好をさせないといじめにつながる、など問題の本質のすり替えに過ぎない。どのような服装をするか、考える力をつけるのも教育なのではないだろうか。

 

就活ルック

イマドキの就活ルックは、そんな時間を過ごしてこなかった結果なのでは?と思うこともある。説明会や面接の場ならともかく、内定が出てからのさまざまなイベントなどへの出席を求めると、「服装はどうすればいいか」という問い合わせがくることはめずらしくない。入社して自分の部下だったら、「あなたはどう考える?」と逆にたずねるところだ。

 

店主の就活当時もいまほどではないにせよ、マニュアルが出はじめたころであった。当時は紺のスーツが定番であった。みなといっしょの服装がいやということもあったが、就職後もビジネスシーンで長く着られるようにと、ブルックブラザースのNo.1モデルのチャコールグレーを身につけて就活をした。周囲にグレーはほとんどいなかった。

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どのような服装をしているか、というのは、その人物がそのTPOをどのようにとらえ、考えているかを推し量る大切なコミュニケーションツールだと思う。それは面接の場面だって同じである。

 

みなと同じ服装をしていないことをとらえて、「常識がない」「協調性に欠ける」と評価して不採用にするならば、入社後も仕事のさまざまな場面で同じようなことが起きるであろう。「なぜそのような服装なのか」と聴いてくれたり、「個性的でステキだ」という反応も、同じように仕事にもあらわれてくると思う。

 

日常生活だけでなくビジネスの場面でも、TPOについてだれも教えてくれない。それは正解のない問題だし、自分で考え、自分の考えを持っておくことだからである。そのためには、若いころからいろいろなことにチャレンジして、失敗も経験し、自分で考える習慣をつけておく必要があるのではないだろうか。