2つの意味
この週末はひさびさに専門書を読む時間をとった。会社の開業からここのところ、カレンダーが休みの日もなんとなくPCに向かってしまい、気がつくと1日中仕事をしていた、なんてことが続いたのだ。
仕事をしていることが楽しいのでいいのだが、やはり気分転換も兼ねて休みの日はじっくりと本を読んで過ごす時間をとりたい。
活字に触れることは、店主の趣味の中でもなくてはならないものだ。ほかの趣味と違って段取りに時間がかからないので、移動時間中の5分や10分から楽しめる。
「趣味と実益を兼ねて」とはよくいったもので、本当にそのとおりなのである。店主は読書には2つの意味があると考えている。1つは知識の収集であり、もう一つはアタマのなかの整理というものだ。
仕事で経験のない領域に足を踏み入れるとき、店主はかならず関係しそうな分野の専門書を買い込んできて、まずはひととおり読んでみる。あたらしい知識を収集したり勉強したりする場合、セミナーなどへ参加する読者も多いと思うが、店主は読書派である。
本にマーカーを引いた入り、前のページに戻ったりと、自分の理解のペースですすめられることや、ひととおり読んだ後にノートにポイントをまとめたりと、時間はかかるものの、消化にいいのである。
経験のある分野の本を手に取ることもよくある。いまさらと思う向きもあられようかと思うが、これが意外な発見をすることが多いのである。
やはり本を出版される方は、アタマの構造が店主などとは違っていて、非常にかしこい方が多いと思う。そんな方の本を読むことで、いままでの長い経験のなかで、漠然と感じていたことを、理路整然と整理し、わかりやすく他者に説明できることばでまとめていただき、俗にいう「腹落ち」させていただいたことが何回かある。
このときの感動はなにものにも代えがたいほどである。一つはいままでモヤモヤしていたことが自分のなかでスッキリ明快になること、そして自分が感じていたことや考えていたことが、著者によって裏付けられたという喜びと自信が得られるのだ。
過去の知恵
文字と活版印刷の発明は、人類の進化にとってとても大きな役割を果たしてくれた、と店主は読書をするたびに感謝するのである。大げさではなくホントに感心するのである。
なぜなら、そのおかげで何百年前もに天才が考え抜いた、さまざまな知識をたったの数百円、いやいまなら原理原則レベルであればネットで無料で手に入れることができるのである。
こんな人間の人間たるゆえんの恩恵を被らずに放っておくのはなんとムダなことかと本気で思っているのである。店主のような凡人以下の人間が、なにかを考えたところでたかが知れている。それならば、過去の人類の遺産ともいうべき知恵を、読書という行為によって借りてこない手はないのである。
引き出しの充実
活字から得られるものは、新しい情報や原理原則に限らない。MBAなどではよくケーススタディというものを学習に取り入れているが、専門書以外の幅広い読書はそういったさまざまな人間の営みのなかからヒントをくれる。
仕事でよく「アイデアを出せ」とか「あの人はアイデアを持っている」ということがある。店主は「アイデアはかけ算である」と考えている。なにもないところにアイデアなどは出てくることはなく、なにかの知識、原理原則やたくさんの事例などに自分の考えをかけ算することで、アイデアというものは導きだされるのだ。
ゼロになにをかけても答えはゼロであり、自分のアタマのなかの引き出しに入っているアイテムが重要な役割をもつ。
なので、引き出しが空っぽだとか、あまり入っていない状態では、いくら考えてもたいしたアイデアなど出てこないのである。引き出しを充実させるための読書は、ジャンルを問わない。難しい専門書でなく小説やエッセイでもいい。
たまにはスマホの横書きの文章ではなく、書籍の縦書きの文章に触れてみてはいかがだろうか。