弔辞手伝い
店主の配属された部門は、正式名称を「管理本部総務部本社総務課川崎総務グループ」といいました。本社総務課は新宿の本社と川崎工場にまたがった組織で、本社に本社総務グループと人事労務グループがあり、川崎工場に川崎総務グループがありました。
本社総務グループは、株式や秘書そして広報を担当し、人事労務グループは通常人事部でやっている仕事とほぼ一緒でした。川崎総務グループは、工場人事と総務を担当していました。
川崎総務グループは、グループリーダー(係長)を含んで4人のメンバーがいました。上司の係長は当時、会社唯一の女性係長であった人で、その先輩も女性で、契約社員の人事管理全般と正社員の与計算の控除や工場の什器備品の管理を担当していました。男性は8年上の先輩がいて、安全衛生や庶務事項を担当し、店主は正社員の人事管理と給与計算、勤怠管理ならびに製造派遣社員の管理を担当していました。
総務の仕事は、各担当者が持っている仕事のほかに、工場全般の受付けや渉外、それから従業員へのサービスや各種会社イベントの対応など多種多様な仕事があります。また最終的にはどこの部門が担当するか決まっていない仕事も総務の担当となります。
そんな中でもっとも時間をとられる仕事といえば、会社の従業員のご家族に不幸があったときです。当然ですが、この仕事は予定することができず、突然起こります。職場では、このような従業員に対する弔事対応は、基本的に電話をとった人が担当するルールになっていました。
毎朝電車の中で、その日や今週のスケジュールを思い浮かべながら、やるべきことを頭の中でだいたい整理をしながら会社に来るわけですが、朝一番(だいたい弔事の電話はこのタイミングです)電話をとると、さあ大変です。まず、その日の午前中の仕事はすべて後回しにし、社内周知用の「訃報」を作成します。訃報を作成し、工場内数ヶ所に掲示し、あわせて社内の全拠点へFAXします。
FAXが終わると、今度は葬儀社に連絡をして会社の規定に基づき生花などの手配をしますが、その頃になると社内の各部門から、うちの課の分も一緒に手配してくれとか、海外拠点からも一緒にお願いされ、大騒ぎになってきます。
生花の手配は供花者の会社名や名前に誤りがあるといけないので、基本的にFAXでの手配になります。FAX用紙を作成し内容に間違えがないか何度も確認をしてFAXします。その後は葬儀社に電話をしてFAXが届いているか、内容に不備がないかどうか確認をしてようやく手配完了です。
次は、弔電の手配になります。規定に基づき手配をしますが、ご尊父、ご母堂からはじまり、喪主の名前はもちろん、発信者の会社名や肩書き、名前など間違えがないように用紙に書き出し、何度も内容を確認して手配をします。
弔電の手配が終わると次に弔問者の調整をし、香典を準備します。香典袋を準備し、会計伝票を起こして経理に現金の出金をお願いします。弔問者が決まったら従業員と亡くなった方の情報や弔問先までのアクセスをレクチャーし、香典袋を渡してお願いし、手配完了です。ここまで手配して、慣れてきて午前中いっぱいかかります。ましてや初めての頃など一日仕事でした。
亡くなってから告別式までの日数は亡くなった日と六曜、宗教や地域性、それからお坊さんの都合などで決まってきます。余裕があるときはいいのですが、休みをはさんで余裕がないときなど、時間との勝負になることもあります。そういうときでも手配については決して間違えられないので、この仕事は特に気をつかう仕事でした。お葬式は一回コッキリでやり直しができません。
川崎工場というより首都圏の地域性でプラスされる仕事がありました。核家族化や近所づきあいがあまりないこともあり、首都圏では葬儀を出すときに人手が足りず、会社に葬儀の手伝いをお願いされることが結構ありました。基本は所属部門で対応し、部下や同僚が手伝いに行くのですが、部門でやりくりがつかないと「総務さんお願い」ということになります。
4人しかいない総務ですので、当然いちばん下っ端の店主にお鉢が回ってきます。川崎工場にいた4年半でかなりの回数のお手伝いに行きました。おかげさまで工場の方々ともずいぶん仲良くなることができ、いつも無愛想な人からも「ありがとう」の感謝の言葉をいつもいただきました。これぞ総務ならではの仕事ですよね。
つづく…