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人事屋修行記(第157話)

プロジェクト

人事部長になって2年目の2015年秋、そのプロジェクトは静かに立ち上がりました。当時社内では極秘のプロジェクトが3つ動いていて、事業部を主体とした協業やM&Aを検討する案件が2つ、そして3つ目が店主に白羽の矢が立った国内事業の立て直しのプロジェクトでした。

 

リーマンショック後の急激な円高で、自動車を筆頭にわが国製造業は一段と海外進出を進めました。当時の会社も製造拠点の海外展開はかなり進んでいたものの、円高を克服するために、それまではさまざまな事情から国内生産していた製品をもう一度棚卸して、どうすれば海外で作れるかという観点でゼロベースで見直して、生産移管を加速させたのでした。

 

リーマン前には生産本部2千人の正規社員に対し、千名を超える製造派遣が在籍していました。その派遣社員をゼロにして、さらに正社員も余剰になって間接部門へ配転するといった、あり得ないような施策が行われ、それでもなんとかリーマンショックを乗り切ったのでした。

 

その後、グローバルでは景気は回復していき、自動車の販売も徐々に元の水準を取り戻していきました。会社業績も連結で見れば、なんとかリーマン以前の水準に近づいていきました。しかし、会社の体質はまったくよくなっておらず、さらに悪化していっていたのでした。

 

 

日本国内で物を作ってもコスト的に見合っていたのは、実質的に派遣社員がモノづくりをやってくれていたためでした。それが正社員に置き換わり、労務費のアップ分がそのまま原価に跳ね返りました。ふたを開けてみると、本来直間比率が7:3くらいがいいといわれている部品ビジネスで、4:6とほとんど逆転していたのでした。

 

連結では収益を確保していましたが、単独は基本的に赤字基調から抜け出せない状況でした。単独の売上だけでは、開発要員の労務費を支えることができず、開発費を回収するモデル立ち上がりの際のイニシャルフィーが入る年だけ黒字でそれ以外の年度は赤字が恒常的に続く状態だったのです。

 

これを根本的に解決するには、国内の製造や間接の正社員を削減して固定費を減らし、単独における損益分岐点を下げていくしかありません。この話は2015年にはじめてでたわけではなく、これまでも国内の生産が空洞化していくたびに繰り返されていて、その時点の経営陣が問題を先送りしてきていたのでした。

 

当時の社長は58才。満59才で迎える総会で退任というのがルールでしたので、翌年の総会で退任が予定されていました。社長がこの状況を根本的に変えるためにいわば泥をかぶるには絶好のタイミングでした。

 

そのような状況の中、管理本部長である上司から店主と元生産企画部長で当時四輪事業企画を担当していた執行役員が招集され、プロジェクトにゴーサインを出すかどうかの判断をするための検討を指示されたのでした。

 

2人とも新卒定期採用で、それぞれ人事と生産のことは熟知していて、部下に資料を要求しなくても、自分で材料をかき集めてこれる点も好都合でした。あとは管理本部長が経理屋出身なので、ヒト、モノ、カネのプロをそろえた格好です。

 

こうして極秘プロジェクトの準備はスタートしていったのでした。

 

つづく…