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人事屋修行記(第121話)

専門職

2010年4月の定期人事異動にあたり、上司の常務取締役管理本部長から呼び出され、人事課長を外れて人事課付きの専門職を命じられました。

 

人事課長を2年間やってきたのですが、管理本部長からさまざまな企画テーマを命じられていながら、まったく対応できず、その度に実務が忙しくて手が回らない、と言い訳していました。じゃあ企画に専念できる環境つくるので、もう実務が忙しくてとは言わせない、ということでの企画担当の専門職アサインでした。

 

人事課の中でも企画担当は店主とこの1年前に中途で採用した日本能率協会の元営業マンの30代男性の2人体制です。制度設計支援や研修などを営業マンの立場から支援してきたとはいえ、人事屋さんとしては素人です。彼には簡単なテーマを与え、企画のゴールとそれまでのストーリーを伝え、出てきた企画案を一緒に検討して進めていきます。

 

当時のテーマとしては、執行役員制度の導入や若手社員の海外トレーニー制度、労使協議制の見直し、海外駐在員の各拠点における取扱い統一など、非常に幅が広いものでした。合併の制度整合から10年が経過し、また環境変化への対応など、しばらく大きな企画提案をサボってきたツケがまわってきたのでした。

 

それまでの店主は、制度としてできたものを規定化するだとか、運用を考えて実務に落とし込むこと、または運用中に不具合などが出てきたことへの対応などをおもに経験してきました。一方で制度自体をさわった経験はほとんどなく、企画書の書き方すらあやしいというレベルでした。

 

 

まずは、先輩の方々がいままで残されてきた膨大な企画書をひっくり返してその手順と手法をまねるところから始めました。さいわい、合併前後からずっと人事関連の企画書や役員会への決裁書類などはすべて店主が管理してきていましたので、過去15年分くらいの財産がほぼ完璧な形で残っていました。

 

またこれらの書類を残してくれた先輩方はいま思えばとてもすごい方々で、コンサルなどに頼らずほとんど自前で、部品メーカーの人事とはどうあるべきか、という視点で考え方を整理し、自ら勉強しながらさまざまな制度を作り上げてきた人たちでした。そのような資料を参考にできた店主はとてもラッキーだったと思います。

 

そのような資料から「型」を身につけた後は、やはり基本を身につけるべく、参考書を読み漁りました。そうすることによって先輩たちが作りあげてきた制度が、なにを意図しているのかを語りかけてくれるようになってきました。やはり世間一般に通用している常識や考え方を文書を通じて知識として吸収するということは、歴史を振り返っても大原則です。

 

また、最新のトレンドや考え方については、労政時報を調べたり、セミナーに参加して情報を集めました。グループ会社の人事課長が集う関係会社人事課長会などでの情報交換もリソースとしても重要ですが、それ以上に必要なときに情報交換できるネットワーク作りの場所として重宝しました。

 

企画担当の専門職として、それまでほとんど実務しか携わってこなかった店主のキャリアが大きく変化しましたが、これはいま考えるととても重要な転機だったように感じています。このような環境変化がなかったならば、制度設計などの大掛かりな企画を提案し、実行するという力はつかなかったでしょう。当時の上司にはとても感謝しています。

 

つづく…