Cafe HOUKOKU-DOH

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IVYおじさんの創業日誌

戦友会

先週の金曜日、ひたちなかまで会食に行ってきた。お相手は、自動車部品メーカーで最後のミッションを一緒に戦った仲間、当時の事業企画担当役員だ。

 

彼はその後、中国に数か所ある生産拠点のうち、最大規模の会社の総経理で赴任し、かつ中国地域統括本部長などを歴任し、昨年の春に帰国してきた。

 

日本に戻ると元の会社(2021年に吸収合併)の拠点ではなく、ひたちなかの存続会社の拠点に戻ってきたのだ。

 

帰国の連絡をもらった際、「落ち着いたら食事でも」と言いつつ、お互いになかなか都合があわず、今回1年半かかって実現した。

 

サシでの会食の場所は、お相手の秘書さんが探して予約してくれた。2人で使える個室の割烹だ。

 

お互いの近況を報告しつつ、あっという間に焼酎のボトルが空いた。お酒がまわってくると、話題はやはり一緒に手掛けた部品メーカーでのプロジェクトの話に。

 

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彼とはそのプロジェクトの4年前に、経営人材サクセッションのアクションラーニングで同じチームになり、はじめて一緒に仕事をした。

 

それまではお互いに存在は知りつつも、接点がなく会話をしたことがなかったのだが、アクションラーニングで議論を交わすことで、急速に仲良くなっていったのだ。

 

その後は、執行役員と人事部長という立場で、仕事で関わってきたのだが、店主の最後の仕事を一緒に手掛けるにいちばんふさわしい人物でもあった。

 

モノづくりの専門家なので、とにかくモノに詳しい。もともとECU(車載用コンピューター)の生産技術屋さんなのだが、ECUに限らず、自動車のパワートレインの部品についてはなんでも知っているといった感じであった。

 

さらに、海外拠点の社長も経験しており、財務も含めサプライチェーン全般を理解し、サプライヤーとしてのビジネスも熟知していた。

 

そんな能力の持ち主が、構造改革という痛みを伴うミッションの仲間に加わってくれたのはとても心強かった。もし彼がいなかったら、上からいわれたことを単にトレースして形にする、事なかれ主義の構造改革で終わってしまい、成果を上げることはできなかったであろう。

 

 

当時、われわれが最初にやったことは、国内の仕事量の見通しを数年後まで立て、そこから逆算して生産能力とそれにかかわる余剰となる人員数を割り出す作業であった。

 

当然、数年後の仕事量の見通しなど決まっていない。なので、自分たちで考え方を整理し、前提条件を設定しシミュレーションを繰り返していった。

 

さらにそのシミュレーションをベースにインセンティブの水準なども検討し、構造改革後のBS、PLがどんな状況になるのか、まで見通しを立てるのだ。

 

あたり前だが、構造改革するのは、その後経営状況が改善し、さらなる持続的成長に向かうためである。それが実現できなければ、構造改革を実施する意味はない。

 

そんな地道な作業を数ヶ月間、1つの会議室を極秘プロジェクトルーム用に準備して、こもってやっていたことを思い出したのであった。

 

お互いにきびしいミッションであったからこそ、それを一緒に成し遂げた後には、彼から多くのことを学び、成長させてもらった。そして一生モノの信頼関係を築くことができたと思う。そんな仲間との楽しい戦友会であった。