Cafe HOUKOKU-DOH

~ホッとひと息的な読み物でブレイクするサイト~

人事屋修行記(第69話)

ブラジル出張

プロジェクトでは、アマゾン川の上流3千キロにあるマナウスサッカーワールドカップやったところです)に仮の事務所を立ち上げ、工場建設に向けて会社の体裁を急ピッチで整えていました。そんな中、我々人事部門として現地法人の総務、人事事項整備の支援と駐在員派遣に向けての現地調査を目的に出張することになりました。

 

マナウスまでは直行便はなく、サンパウロ行きの便が給油のためアメリカ経由でのフライトとなっていました。当初、プロジェクトのLPL(ラージプロジェクトリーダー)

と、上司の3人で一緒に行く予定でしたが、上司が急遽アメリカ出張となり、ひと足先に飛んで仕事を片付けたあと、経由地のニューヨークで合流することになりました。

 

LPLとは成田のラウンジで待ち合わせです。海外出張は1998年に中国に行きましたが、自分ひとりでのチェックインは初めての経験です。荷物を預け手続きをすますと、カウンターのお姉さんが「赤坂さま、サンパウロ経由マナウスまでですね。お気をつけて行ってらっしゃいませ」と声をかけられ、これから本当に地球の裏側まで行くのだという実感が沸々と沸いてきたのを覚えています。

 

 

サンパウロまでは25時間、その後サンパウロで国内線に乗り換えてマナウスまで4時間で乗換えを含めると1日半の移動です。マナウスへ着くとその足で親会社の2輪の工場へあいさつに伺いました。

 

応接室へ案内され、現法の社長さんと話をしたのですが、時差ボケで起きているのが本当につらく、仕事中のつらさでは後にも先にもあのときが一番でした。

 

翌日から、仮事務所に毎日出勤して、まずは駐在員を派遣するにあたっての現地調査を始めました。日本で事前に各社の人事経由で紹介していただいた、グループ会社の現地法人の駐在員を訪ね、各社の駐在員の生活全般や取扱いについて情報を教えていただきます。

 

日本人駐在員はどのエリアに住んでいて、物件はどのようなものが外国人向けとして一般的か、治安やセキュリティーはどうかなどから始まり、現地での給与受け取りのための銀行口座開設の手続き、日本人会の状況、日本食レストランや食材の調達場所など、駐在員が生活するにあたり必要な情報を確認していきます。

 

 

情報を教えていただいた後は、現地の確認です。仮事務所には、ドライバー兼通訳という役割で現地在住の日系人を雇っており、その人のクルマに乗せていってもらいます。

 

ブラジルは、以前経済政策で失敗はしているものの南米の大国であり、生活水準も日本と遜色ありません。クルマもたくさん走っているのですが、ほとんどがマニュアル車でそのドライバーも含め信号が青になるとどのクルマもみんな全開でスタートダッシュします。さすがラテン系の国だと感心しました。

 

3週間ほど滞在したのですが、ホテルも出張者向けにどのホテルがふさわしいかを確認するために、わざとめぼしいホテルを転々として泊まり歩いて確認します。出張者向けには、駐在員の居住エリアから近く、日本食レストランなどの利用に便がいい場所を探します。また役員などが来た場合のために、VIP向けの高級リゾートホテルも確認をしておきました。

 

出張の最終日には、滞在期間中のさまざまな調査結果をレポートにまとめ、プロジェクトメンバーに報告して、我々の方針を伝え、意見をもらって最終案をまとめました。駐在員の取扱いについては、帰国後、労組と最終確認をして確定をさせていきます。

 

 

結局帰りは、上司がひと足先に帰国したので、全行程1人で帰ることになりました。サンパウロでの乗り換えに6時間以上待ったのですが、空港の中で強盗に会わないかと、柱を背にかばんを抱えて一人心細くなりながら成田行きのJAL便を待ちました。やがて出国審査を終え、飛行機に乗ったときの安心感はいまだに忘れられません。

 

つづく…