Cafe HOUKOKU-DOH

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人事屋修行記(第1話)

ボクは1967年に神奈川県川崎市で生まれました。その後2才のときに父親の実家のある仙台へ引越し、大学まで仙台で過ごしました。

 

中学の頃からバイクに熱中し、雑誌や改造本を読み漁り、先輩の後ろに乗っけてもらってOJTで乗り方やいじり方を勉強しました。おかげさまで免許が取れる頃には、バイクをばらして組み立てたり、友人のバイクの修理を一手に引き受けるまでになっていました。

 

大学進学後、お約束どおりにクルマに転向し、バイクからはずっと遠ざかっていました。4年生になり就職活動をする時期になったのですが、学校にも通わず、クルマの改造費のためにバイトに明け暮れていたボクは、就職活動にもまったく興味がわかず、何の活動もしていませんでした。

 

そんな中、当時付き合っていた彼女が見るに見かね、ボクは仙台市体育館で開かれていた河北新報主催の合説に無理やり連れて行かれます。

 

当時は、バブルの全盛期でボクの大学からもメガバンクなどへも就職できた時代で、企業側もとにかく頭数を確保するのに躍起になっていました。

 

ボクはなんとなくメーカーのブースを回っていたのですが、大手有名電機メーカーの冠が付いている宮城県内のグループ会社のブースに行くと、「君、理系?文系?」と訪ねられ、周囲の理系学生はVIP待遇なのに、ボクが文系といった瞬間、「何時間掛かるかわかりません」ってそれっきり無視といったような対応もめずらしくない状況でした。

 

すっかりやる気をなくして、休憩コーナー(2階の観客席)からブースを眺めていると、何ヶ所かまったく学生がおらず閑古鳥が鳴いている会社がありました。会社名を調べてみると、その一つが「京浜精機製作所」となっています。

 

「あっ、角田市宮城県の南部)にあるキャブメーカーだ!」バイク小僧だったボクには馴染みの会社でした。大学4年生になる春休みに道路の白線引きのアルバイトをしていたのですが、ちょうど角田市にある工場前の道路の白線を引いて、工場を眺めて場所も把握していました。

 

「あそこなら知ってる会社だし、並ばずに話が聴ける」とすぐに訪ねると、若くて親切そうな採用担当者の方が、なんと1時間以上も懇切ていねいな説明。

 

説明が終わり、最後に「来週、仙台で説明会があるんですけど、よかったら来ませんか?」と名刺を頂戴しながらお誘いを受けたのです。

 

すっかりその担当者の方の親切さに舞い上がっていたボクは「ぜ、ぜ、是非、行かせていただきます!」と返事をしたのは言うまでもありません。ボクはいただいた名刺を握り締め、意気揚々と家路に着いたのでした。

 

つづく…