Cafe HOUKOKU-DOH

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人事屋修行記(第65話)

残業食

2000年当時の本社オフィスは、新宿の新南口にあり、長谷工さんが所有する9階立てのビルでした。当社は7階にあり、3階には吉野家さんの本社も入っていました。

 

新宿駅の新南口から歩いて5分も掛からないすばらしい立地で、会社の帰りには若手が声掛け合ってしょっちゅう飲みにいくような仲のいい職場でした。当時の本社は、人事企画室、本社経理課、関係会社経理室、本社人事の4つの課があり、平均年齢も若く、20代のメンバーも結構いました。

 

飲みに行くときは、部門単位というのはほとんどなく、各課の若手がお互いどちらともなく誘い合っていくという感じでした。当時店主が30才前後で、その上の若手のリーダー格として、資金係長、関係会社経理の主任、そして人事の先輩あたりがいつも中心でした。

 

当時は、三六協定も今ほど厳しくなかったこともあり、残業はみんな結構遅くまでやっていました。首都圏は通勤時間がクルマ通勤より長いのがほとんどで、忙しい時期など残業をやっていくとなると、しっかりと遅くまでやるために、残業食をよく食べたものでした。

 

 

当時の店主が勤めていた会社は、部品メーカーで工場があったため、ライン作業者と同様に2時間以上の残業をする場合には、7時半から8時まで30分の食事休憩があり、工場の食道に行くと定食を無料で食べることができました。

 

新宿の本社には食堂がありませんから、残業食は近所から買ってくるか、食べに行くか、店屋物をとるかのどれかです。

 

忙しい時期なので、できるだけ仕事を片付けておきたいのが心情ですから、手間の掛からない店屋物が人気です。パターンは近所のソバ屋「高田屋」かお弁当のデリバリー、もしくはピザのローテーションでした。

 

19時くらいになるとだいたい経理の誰かが、「今日はどうする?」と言い出して、メニューを持って注文を聞いて回ります。ボクは当時から麺類大好きですから、高田屋のときはだいたい乗っかっていました。

 

 

配達が到着すると、めいめいが代金を支払い、領収書をもらいます。会議室1ヶ所に集まってみんなでワイワイやりながら食べるのですが、今思うと、当時の本社は結構若手が多くて活気があり、仲もよかった気がします。

 

それにしても、残業食として店屋物を食べる経験ができるのも、当時の本社ならではで、忙しいながらも楽しい経験をすることができました。やはり人間、モノを食べるときというのは、とても楽しく幸せな気分になるようで、あとから思い出してみても、その前後の仕事のきつさはすっかりと忘れ、食べた楽しい記憶だけが残るようです。

 

つづく…